ジェロントロジー
「親から子へのメッセージ」をテーマにしたホームページの立ち上げに関わったことから、親の立場や心境を考えることになり、その流れで、「老後」についても思いをいたす状況になりました。
老いるということがどういうことなのか、親世代が何を思って生きているのか、わかっているつもりが、実のところ具体的には想像すらできなかったのです。若くはないけれどまだ老いてはいない自分の立場での視線でしか見ていなかったことに、われながらショックを受けました。
「死」というものについてはよく考えるのに、生物としての老いるという誰でもが避けることのできない現実を、はるか遠い他人事のように思っていたのです。
身近なところでも、祖父が認知症で、祖母は脳梗塞です。さらに母は耳が不自由ですし、父も加齢現象でしょうか膝が痛いと申します。
「老」がしっかり自分の周りにあるのです。
子の立場から親のことを見、心配していても、当事者の立場にはなれません。
自分がその立場になったら、と考えてみます。
老いて体はどうなっているかしら、年金はもらえるのかしら、老人ホーム貯金をはじめなくちゃいけないかしら、認知症になったら誰が面倒見てくれるのかしら、と。
誰にも知られずに死んだらどうしよう!?
次第に自分自身の老後も不安になってきます。 ああ歳をとりたくなーい!
どうしても、暗い方へと考えがいってしまいます。
世の人たちはどのよう考えて生きているのだろう。
インターネットでもいろいろと調べてみました。
そんなときに出会ったのが「ジェロントロジー」という言葉です。
「ジェロントロジー」とは、1940年代にアメリカで始まった学問です。
『加齢にかかわる諸問題を研究する学問領域。生物学・医学などの自然科学と社会科学を統合して研究する、老年学。老人学。加齢学。』[ 大辞林 提供:三省堂 ]、とあります。
「加齢」をマイナスなことと捉えずに、年齢を重ねたからこその円熟さ、そしてその経験を活かした社会貢献への期待など、「老い」や「老化」をプラスに捉え、老後を、自立しかつ快適にすごすための学問なのです。
アンチエイジングもこの学問の範疇に入ります。
さらにこの学問では、加齢は防止・治癒できるとまで言い切っています。
マイナスイメージにどっぷり浸かっていた気持ちに光がさしました。
老後を暗く考えることなんてないのだと思いました。
「経験を活かした社会貢献」という考え方がいい。
そして、『姥捨て山』という物語を思い出しました。
年寄り嫌いの、わがままな殿様が、年寄りは山に捨てろと言う命を出しました。どうしても捨てきれない若者が母親を山から裏の納屋に隠しました。数日後、わがままな殿様は、村人たちに、灰の縄を作れだの、棒のどちらが根のほうか当てよだの、たたかなくても音が出る太鼓を作れだの難問をだして困らせました。納屋に隠された老婆がことごとく解決策を出したので、わがままな殿様は、降参して、年寄りは山に捨てろと言う命を撤回し、年寄りを大切にすべしとのお触れをだしたという話です。
実践に裏付けられた英知の重さを社会が認識し大切にしなければならないとは誰もが思っていることです。「経験」からくる知恵、そしてその継承が社会の繁栄の根幹となるものです。
世界一の長寿国と言われる日本においてこそ、この「ジェロントロジー」という耳慣れない学問が実践され、世界に先んじて手本となるべき思想が発展していくことを願うとともに信じたいものです。
それには、まず一人一人が、加齢による老いを素直に受け入れながら、同時に積極的に社会に参加していくと言う意識を持つことが必要不可欠なことだと、「老後」について考えながら、確信しました。