毎日暑い日が続く。梅雨明けも異常に早かったし、一月以上もこれが続くのかとうんざりしながら、つい地球温暖化と結び付けてしまう。やはり地球はヒートアップしているのだと。
実際にはどこまで温暖化は進むのだろうか。マーク・ライナス著『+6℃地球温暖化最悪のシナリオ』によれば、地球温暖化がこのまま進めば、最悪の場合、今世紀末までに6℃上昇する可能性があるそうだ。もちろんわれわれが生きているはずはないが、遠い先の話ではなくこれから生まれる子供達のその子供の時代の話だ。
現在、10年で0.2℃のペースで温暖化は進んでおり、今世紀の終わりには2℃上昇する計算だが、予測では温暖化のペースは加速され6℃の上昇も十分に起こりうると言うのだ。
この暑さで閉口しているのに40度を軽く超える日が続くとなると体が溶けてしまう、などと単純に想像してそんな問題ではなかろうと首を振る。
まず1℃上昇したらどうなるのか。ストレスはあるにしても、人間は適応できるが、他の生き物は生息地を変えなければならなくなり、動物と植物の移動のスピードが異なるため、生態系が崩れ大量絶滅の恐れがあるという。蝶が、食物としていた植物がない場所に移動したところで何の意味もないことからわかる。
2℃上昇という事態になれば、地球上の全生物種の4分の1から3分の1が絶滅することは間違いないと述べている。3℃上昇になると50%が絶滅し、ヒマラヤ山脈の氷河のほとんどが消え去り、アマゾン川流域の熱帯雨林が砂漠化し、そうなるとそれまで樹木や土壌に蓄積されていた二酸化炭素がすべて大気中に放出され、温暖化はいよいよ加速されるという。
では、気温が6℃上昇するとどうなるのか。巨大ハリケーンが地球を駆け巡り、火の玉が飛び交うのであろうか。
海水温が上昇して、海底にあるメタンハードレートが解け、閉じ込められていたメタンが不安定な状態になると、何が起こるわからず、SFまがいの現象が起きないとは言えないと述べている。6℃上昇の状態で生き延びるのは、ゴキブリ、ネズミ、そしてなんと人間だと予測する。北極圏に近い地域などでしぶとく生き残るのだそうである。その地域に世界中の人間の難民キャンプができるのだろうか。しかし、アニメ映画のネタならともかく、とてもゴキブリやネズミと共存できるとは思われないが。
それでは、このような地球の危機に対してどうすればよいのであろうか。
温暖化の原因とされる二酸化炭素排出量を減らそうとする動きが、ヨーロッパをはじめとする多くの国で起きており、温暖化に関する意識は確実に高まっているようである。わが国でも同様である。企業のPRを含めてマスメディアで、エコという文字を見ない日はないほどである。確かに「二酸化炭素」と言う言葉は悪役にふさわしい。聞くだけで中毒になりそうだ。
地球を救え、冷房を我慢し、電気を消し、薄暗い中で食事をする。競って省エネに励む。良いことをしている気になる。NHKの番組では、携帯電話を利用して二酸化炭素の削減を計量できるという紹介もしていた。がしかし何か変である。塵も積もれば何とやらではあるが、地球温暖化を防ぐこととはそういうことなのか。
石渡賢一という人のコラムがある。氏は、
「昨今のマスメディアは、すべて環境保護へ向けて、京都議定書の遵守、もしくは強化で足並みを統一していますが、私は次の点で、大いなる疑問を感じております。第一に、ここ十年ほどの地球温暖化の様々な兆候を、人為的なもの、それも人間の鉱工業生産や消費活動による二酸化炭素の急激な増加によるものであると決めつけていることです」と言い、今年「文藝春秋」5月号で発表された論説(丸山茂徳著「地球はこれから寒冷化する」)を紹介している。それは、ここ十年という短期的なスパンで見た温暖化現象は、内的な要因というよりも、むしろ太陽光照射量の急激な増大、つまり太陽活動の一時的な異常によるものであるとするものである。
そして、丸山氏は
この一世紀の平均温度上昇が0.6度であった一方(それは地球の歴史上、ありふれたことなのだとし)、《世界中で化石燃料を急激に消費しはじめ、大気中のCO2が急増した1940年から1980年の40年間を見ると、0.1度ほど地球の気温は下降している。これだけとってみても、温暖化の主犯がCO2であるという説は崩壊している》とし、温暖化の原因として、《この四百年ほどの統計を見て》、《日光照射量が最大に達している》ことを挙げているのである。
さらに、石渡氏は「この論説に対する公的な環境保護機関の反論、マスメディアの反論は一向に表に現れず、完全に無視しています。不思議でなりません」と、続けて、
「そして第二に、京都議定書での我が国の達成目標自体に無理がある(むしろ合理性がない)という説も、同じく「文藝春秋」誌上で幾度か目にしましたが、いまだに反論がありません。
「偽善エコロジー」(武田邦彦著:幻冬舎新書)の著者は、我が国の総二酸化炭素排出量の全世界に占める割合からして、6%の削減がたとえ達成されたとしても、地球規模ではほとんど意味を成さないと結論付けさえしているのです」と述べている。
地球温暖化の原因が二酸化炭素の増加ではない、むしろ、地球はこれから寒冷化すると言っているのだ。そして京都議定書を真っ向から切り捨てているのだ。こうした記述をどう理解すればいいのだろうか。そうした議論が無視されているのは、議論する価値もないということなのか、ベジタリアン的な議論なのか、素人には真偽のほどはわからない。寒冷化すればどうなるのか別の疑問が生じるが、ただ、昨今のエコモードにはいささか疑念を持つ者としては、注目したくなる話ではある。
主題を少し外れるが、広げて紹介すれば、前述の『偽善エコロジー』の著者は、
〈多くの人は「レジ袋を減らした分だけ石油の消費量が減る」と錯覚していますが、石油の成分は一種類ではないので、他のものも同時に減らないと効果は上がりません〉と、言っている。
もともとレジ袋の原料に使われている石油の成分は、ほかに使い道がなく燃やしていたもので、化学技術の向上で、「廃品」を有効利用できるようになったものだということ。つまり、レジ袋を減らしたからといってなんの意味もないというわけだ。逆に、100%綿であればともかく、おしゃれなエコバックの多くは、これを作るために石油の貴重な成分を使うことになると言う。
その他にも、
〈アメリカのトウモロコシの場合はいろいろ計算がありますが、平均すると1キロカロリーの石油を使って、1キロカロリーのトウモロコシがとれると考えてよいでしょう。ですから、苦労してトウモロコシをエタノールにして、それを自動車にくべるくらいなら、最初から石油を直接ガソリンにまわすのと同じですから、何をやっているのかわからないといえます〉
さらに、テレビでよく取り上げられる、海面の上昇によって消えるといわれているさんご礁の島、南洋の小国「ツバル」に関しても著者は、
これは温暖化よりも、たとえば〈第二次世界大戦当時、アメリカ軍が来て急ごしらえの飛行場をブルドーザーで整地したところが地盤沈下している〉ことが影響していると見、マスコミはそのことに触れずに「地球温暖化」の象徴としてクローズアップしていると言う。
確かに、島を呑み込むほどに海水が押し寄せているというのは、おかしいようにも思えてくる。
なぜ、著者は盛り上がる「エコ」運動に水をさすのか。
「エコ」は商売となる。巨大な利権と化し、善意を食い物にするばかりか、エコの推進がより環境を壊しかねないと危惧しているからである。
「レジ袋をやめエコバッグにすると、かえって石油の消費が増える」「冷房を28℃に設定しても温暖化は止められない」「多額の税金と手間をかけて分別したゴミ、そのほとんどが焼却される」「リサイクル料を業者に払った廃家電は、違法に中古で流れている」
いわゆる「地球に優しい生活」は、じつは消費者にとって意味がなく、無駄でしかないとすれば・・・・・。
われわれは、地球温暖化は果たして二酸化炭素が原因のすべてなのか、そしてそれに関連するエコ活動の実態、バイオエネルギーの持つ矛盾、代替エネルギー問題と地球温暖化の議論の混同などについて、もう一度素朴な疑問を投げかけてみる必要がありそうだ。
もし、誤った政策のために、ただ利用され踊らされているだけだとしたら、とんでもない話である。もちろん、いずれ無くなる化石燃料に頼らない、「低炭素社会」の実現を急ぐことは当然のことである。