「あなたの好きな経営者のアンケート」で、必ず上位に入るのが本田宗一郎です。
生涯をものづくりに賭けた生き方と天衣無縫の生き方が、多くの人の共感を呼ぶからでしょう。
この人ほど「率先垂範」を生涯のモットーとして生きた経営者も少ないと言われます。
技術者として開発に熱中しだすと、飲まず食わずで、一晩、二晩の徹夜は当たり前だったとのことです。
こんなエピソードもあります。
ある時、外国人のバイヤーを浜松の料亭に呼んで宴会となったときのことです。
宴会が盛り上がり、酔った外国人バイヤーが入れ歯を便所に落としたと言い出したのです。
当時、便所は汲み取り式で、料亭の便壷は深くて大きかったのですが、彼は、すぐに便壷の中に降りて、手でかき回して入れ歯を見つけたのです。
また、マスコミから会社倒産の危機と書きたてられていた状況の中で、有名な「マン島TTレース出場宣言」をしました。
それも、「優勝するために精魂を傾ける」と言ったのです。
ところが、マン島レースを視察して、イギリスやイタリアのオートバイの、あまりの速さに、自分の発言を後悔しました。
日本車とは比べものにならないほどの馬力があったのです。
打ちひしがれて帰国した本田宗一郎は、それでも、勝つためにはどうしたらよいかを必死で考えました。
そうして出た結論が、エンジンの回転数を上げるということでした。
それまでのオートバイのエンジン回転数は3〜4,000だったのですが、それを一挙に1万回転まで上げようとしました。
回りの技術者は「できるはずがない」と言って、こぞって反対しました。
しかし苦境の時ほど燃えるのが彼で、ついに、高回転エンジンの開発に成功したのです。
レース初出場で6位入賞し、その5年後には1位から5位を独占するという完全優勝を成し遂げ、「世界一のオートバイメーカー」の地位を不動のものにしました。
その後も、子供の頃からの夢だった自動車レースでの優勝を公言し、F1レースでその夢を果たしました。
「して見せて、言って聞かせて、させて見て、ほめてやらねば、人は動かじ」、山本五十六元帥の有名な言葉です。
最近は、「長幼の序」などという言葉は死語になりつつありますが、ひとつは、「率先垂範」がなくなってきたからかもしれませんね。
己がせずに誰がやる、という気概がないと、人はついて来ない。本田宗一郎の生き方は、改めて、そう感じさせます。