ひらの税理士事務所




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 負け犬 考  
 
 
『女性30歳以上、独身、子供なし』を“負け犬”という定義ができてしまって、広く世間に認知されているようですが、いつ頃から日本女性は『結婚すること』を人生最大の目的のように考えるに至ったのでしょうか。
小学校低学年の頃まで遡って思い出してみました。
 男女を問わず、「民話」や「寓話」を両親から聞かされるか、あるいはその手の児童書を読むように薦められました。それは、人生の教訓となり道徳心を培うために役に立つと考えられているからです。また、人として持つべき価値観を植え付ける、よい教材になっているからだと思います。
 まず、日本の昔話ですが、主人公はだいたいにおいて“男性”で、“女性”ではありません。「桃太郎」「花咲か爺さん」「浦島太郎」「かちかち山」「さるかに合戦」「コブとり爺さん」「金太郎」「一寸法師」など、ざっと挙げただけでも、そうです。血気盛んな若い男子の“武勇伝”や“勧善懲悪もの”で、めでたし、めでたしと終わります。
 その中で、美しいヒロインが登場するものとして、すぐ思い浮かぶのは、「かぐや姫」「鶴の恩返し」「天女の羽衣」のお話です。この三つに共通していることは、最後に彼女達はみな、月や大空や天といった遥か遠くへ飛び去ってしまうところです。
「かぐや姫」では、求婚してくる男性に、あれやこれやと無理難題を言って拒絶し続け、「鶴の恩返し」では、命の恩人への御礼として夫婦となり、骨身を削って恩を返し、やがて“ある約束”を破った夫の元を去って行きます。そして「天女の羽衣」では、沐浴しているところを覗き見され、情欲にかられた男から、やっとの思いで逃げ失せるのです。
昔の日本女性には、『結婚に夢など抱いていない、結婚なんてまっぴら!』という気持ちがあったのではないかと思えるほどです。実際、お金持ちにおいては“政略結婚”、庶民においては、恋愛結婚をする習慣もまた余裕もなく、戦前の日本では、結婚とは、女性にとって“生活していくための労働力になる”という意味だったように思われます。
 それに引き換え、ヨーロッパの童話や民話には、女性が男性を拒絶して終わるという筋書きはあまりないようです。
 昔々の大昔、今から2,500年くらい前のギリシャで作られた『イソップ寓話』の中で、家畜同様の身分であった作者イソップは、人間の愚かさを鋭く風刺しました。
「うさぎとかめ」「北風と太陽」「きつねとつる」「田舎ねずみと町のねずみ」といった作品は、平凡でも人間として生きる上で大切なルールを、おもしろく童話的に描いていますが、とりたてて“女性の生き方”のようなものは扱っていません。
 それから、1812年にヤコブ・グリムとウィルヘルム・グリム兄弟が収集して書き残したドイツの昔話、『グリム童話』は伝承民話を学問的に忠実に集めたものです。
「赤ずきん」「灰かぶり」「ブレーメンの音楽隊」「いばら姫」「ヘンゼルとグレーテル」「狼と七匹の子やぎ」「「白雪姫」「かえるの王様」「金のがちょう」など、日本でもよく知られているお話しですが、原作は残酷な描写も多く、恐ろしい内容のものも少なくありません。
 例えば、貧しさゆえに両親から奥深い森へ捨てられてしまった子供たちが、そこで見つけたお菓子の家で、魔女に危うく食べられてしまそうになる。これは、「ヘンゼルとグレーテル」の寓話の一部ですが、改定版では、“継母に捨てられる”となっていますが、初版では“実母”となっています。
 さて、童話といえば、『アンデルセン物語』です。作者はご存知“童話の父”と言われたハンス・アンデルセンですが、グリムの“民族童話”に対して、それは“創作童話”です。
「人魚姫」「みにくいあひるの子」「親指姫」「はだかの王様」「マッチ売りの少女」など、世界中の人々に親しまれた作品が数多くあります。
 このように近世になってからヨーロッパでは、ヒロインが登場し、“結婚”という事柄を取り上げているお伽噺があることに気が付きます。
グリム童話の「灰かぶり」(私たち日本人には「シンデレラ」といった方がいいでしょう)「いばら姫」そして「白雪姫」です。
アンデルセン物語では、「人魚姫」と「親指姫」などです。英語の『Cinderella』とは“灰まみれの少女”という意味で、継母とその連れ子にいじめられ、日々の重労働の後も炉端の灰の中で眠らなければならず、「シンデレラ」と呼ばれていました。その「シンデレラ」の物語の中にも恐ろしいシーンが随所に出てきます。王子が、シンデレラを探す手段として、残された金の靴(ガラスの靴ではなかったようです)にピッタリ合うかどうか、娘達に履かせる場面で、シンデレラの義姉たちに、その母親は、「足の指を切ってしまいなさい。かかとを削いでしまいなさい。お妃になれば、もう歩かなくてもよいのだから」と命令します。そうまでして王子と結婚させたいのです。富と名誉と地位に執着していることを表しています。
「いばら姫」は、誕生祝いの宴席に招待されなかった占い女に呪いをかけられ、茨の中で百年の眠りに落ちた王女が、ひとりの王子によって目覚め、めでたく結婚するというお話ですが、“初版”では怖い続きがありました。人喰鬼の血をひいていた王子の母親に、ふたりの間にできた子供が食べられそうになるというのです。童話にはふさわしくないということで、再版では削除されました。
「白雪姫」は、自分が世の中で一番美しくなければ気がすまない実母(後に継母に改められました)に命を狙われる、雪のように白い肌をした美しい娘が、最後には王子様に助けられ結婚するというお話です。隠れ住んだ森のこびとの家で、三度母親に殺されそうになります。まず、“絞殺”そして“毒殺”です。毒の塗られた櫛で失敗すると、今度は毒入りりんごを食べさせて、まんまと殺害に成功します。
このように、王子に見初められて生き返り、結婚するものの非常に残酷な境遇の末のことで、あまりめでたし、めでたしとは言いにくいお話です。
「人魚姫」は、人間に恋をした人魚が、美しい声を失う代わりに、二本の脚を手に入れますが、最後に思いは叶わず失恋して死んでしまいます。
「親指姫」でも、残酷な場面こそありませんが、嫌で嫌でたまらない醜いヒキガエルやモグラとの結婚から逃れた後の、花の精と出会いがあります。
最後には、“結婚して幸せに暮らしましたとさ”で終わっていますが、全編において夢いっぱい幸せいっぱいといった内容とは言い切れません。
本来、『昔話』や『民話』は、現実生活の苦しみと悲しみ、人間のやさしさと恐ろしさを伝えるものだったのですが、20世紀に入って欧米の繁栄の時を迎え、夢のようなことばかりがあるという錯覚を起こさせる内容へ変わっていきました。私たちが知っている『お伽噺』と中身がちょっと違うという理由がそこにあります。
 私自身、そういったお伽噺を、耳で物語を聞いたか、活字を読んだかしたのは確かです。しかし、大きな影響力で幼心に刻まれ、今でも鮮明に思い出せるのは“美しい色彩と生き生きと動く絵”です。
それは古代ギリシャのものでも、グリムの生誕地ドイツのものでも、アンデルセンの国デンマークのものでもありません。
アメリカ合衆国のウォルト・ディズニーの作ったアニメーション映画でした。
ヨーロッパの民話や童話を原作に、残酷なシーンは描かず、独自のディズニーの世界を築いたことは、世界中で知られています。
「シンデレラ」は、フランス、イタリアなどいたるところで語られている民話のひとつですが、“ガラスの靴”や“かぼちゃの馬車”を登場させ、これほど世界中で有名にしたのはディズニーです。
「白雪姫」「人魚姫」「眠れる森の美女」(いばら姫のことです)これらの童話を、見事に夢一杯のお伽噺にしたディズニーのアニメーションの映像と創造力は、私たち女性の心に染み渡りました。
いつかどこかで、まるで王子様のような男性が現れて、お互い一目惚れしてしまう。今の自分は仮の姿、今ある不遇はいつか拭い去られて、王子様との幸福な結婚生活を一生送るのだ。なんて、幼心に、そして若い女性たちに夢物語を夢見させたアメリカ人、ウォルト・ディズニー。
知らず知らずの内に、結婚願望が少女たちの心の中に忍び込んでしまったように思います。「大きくなったら何になりたい?」という大人の何気ない質問に、無邪気に女の子は答えます。「綺麗なお嫁さんになりたい!」と。
 これは、そう、『陰謀』に違いないです!
戦後、アメリカが、世界を牛耳るために、賢いけれど貧しさゆえに日の目を見なかった女性の教養を身に付けることを恐れたのです。男性が世の中を支配するためには、結婚をして家庭に入れば、さも夢のような生活、幸せな人生を送れるようになると女性を錯覚させる必要があったのです。そうです!日本女性には無かった価値観を、夢のようなお伽噺の名のもとに根付けた陰謀だあ!と、悟りましたとさ。
 めでたし、めでたし、おしまい。