明けて2013年も恒例の初詣に行き、無病息災その他かれこれ都合の良い祈願も
わずかばかりのお賽銭ではご利益も薄いものと思いつつも、殊勝に柏手を打ってまいりました。
はたして今年の行く末はどうなるのでしょう。
ところで、NHKの大河ドラマ、「八重の桜」が始まりました。会津若松(現在の福島県)に生まれ育ち、
女性ながら砲術を学び、戊辰戦争を洋式銃で戦いぬき、のちに、同志社大学創始者、新島襄(にいじまじょう)の妻となった、
八重の生涯とその時代が描かれるようです。
今年の“大河ドラマ”はどうだろうかと、特に昨年の「平清盛」の視聴率が低かったこともあってか、
関心が持たれているようです。また、八重の故郷、福島県は、震災からの復興に向けて、日々戦いの状況にあり、
当時の日本の変動期を重ね合わせている方もおられることでしょう。
八重が生まれたのは、1845年で、明治維新(1868年)の23年前、幕末と言われる時代で、長州藩(現在の山口県)の吉田松陰(1830年誕)が15歳、
薩摩藩(現在の鹿児島県)の西郷隆盛(1827年誕)が18歳の頃です。
吉田松陰は、安政元年(1854年)にペリーが日米和親条約締結の為に再来航した際に、
伊豆下田港に停泊中のポーハタン号へ赴き、乗船して渡航を企てましたが、
失敗し投獄されたことはよく知られていますが、当時の日本は鎖国をしており、密航は死罪という時代でありました。
それは、まさに命がけであり無謀極まりないことで、通常では考えられもしない時代であったのです。
と同時に、いくらお転婆であったにしろ女だてらに戦場に出て、男にまじって鉄砲を撃つなど想像もできない時代でした。
止むに止まれぬ、内から湧き上がる思いに突き動かされての行動であったのだと思うのです。
元寇、黒船、そして大東亜戦争と、日本の国難があり、幾多の事変を経て今がありますが、
亜細亜の中の極めて小さな島国日本が今日あるのは奇跡に近いのかもしれません。
そして現在、日本は、中華人民共和国・大韓民国・朝鮮民主主義共和国そしてロシアと、取巻く隣国との間に軋轢、
問題をかかえています。しかし、多くの日本人は為政者に責任を押し付けるばかりで、
他人事のようですし、日本のために、何をどうすべきか考えあぐねているように思えます。
第二次大戦後、復興を成し遂げ繁栄を築いた日本が、かげりをみせ、世界の中で勢いを失い、
隣国からも軽く扱われるのを甘受するだけでいいのでしょうか。
今こそ、激動の幕末から明治への劇的な転換期に有為の先人、若者たちがいたという間違いのない事実を思い起こし、
同じ日本人として、現代の私たちに打開できないはずはないと、確信し、自信を持って行動すべきだっ!と声高に言いたくなります。
2013年の新春の、成人式に集い談笑する若者たちを見ながら、彼らも「八重の桜」を見るのだろうか、
とふと思い、首を振って、わが身にかえりながら、「ならぬことはならぬものです」か、などとつぶやき、できることをすることから始めようと思った年始でした。