ひらの税理士事務所




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 格差社会  
 
このごろは、格差社会という言葉がはやりである。新聞雑誌その他のメディアで目にしない日はないくらいだし、選挙運動のスピーカーからも頻繁に聞こえてくる。 格差のない社会を目指そうと言うのであろうか。
 格差がない社会ってどういう社会なのかわからないけど。

先日、近くの公園で花見をした。
やはり桜はいい。離れても近くによって見ても、あの薄桃色の木の花はよろしい。
持ち込んだ酒をぐい飲みに注いで、花見て一杯。ううん。しかも、ここは人影もまばら、独占的に桜を満喫できる穴場である。
この城址の公園の一番高いところは、人が一杯で、場所取りのロープがあちこちに張り巡らしてあり不快な気持ちになるのに。
人が多くいる場所が、一番桜が綺麗場所だと思い込でるし、ワイワイガヤガヤするのが花見と伝統的な考えがあるのだろう。
よく言われる、日本人特有の「横並び主義」なのかもしれない。しかしかく言う筆者も花見という伝統を守っているのだから、他を批判はできない。

それはともかく、杯を重ねながら、とつくづく、ありがたいと思った。

それは、NHKの特集で中国の貧富の差を取扱った番組が頭に残っていたからである。
「富人」と呼ばれる中国の金持ちは、個人資産300億を有し、1億近い最新の車を何台も所有している。何十億もする、めったに使わないだろうロココ調の自宅は、くつろぎの場所だそうな。
富裕層だけで、不動産や株式などの有益情報を専有し、富が富を呼ぶ循環システムを構築している。

 一方、「農民工」と呼ばれる人々は、地元には仕事がなく、子供の教育費や家族の生活費を稼ぐために、子供を施設に預けて出稼ぎに行く。仕事は過酷な日雇い労働で、日給は600円程度、それでもなかなか仕事にありつけない状況である。

残された子供達の施設は、補助金もロクに出ないので食事はいつもご飯と漬物だけ。零下20度になる夜も1枚の布団を数人で掛け合って暮らしている。靴底は穴が開いているが、買い換える金はなく、年老いた祖父母はため息をつき、無言で孫の頭をなでるだけ。

子供たちが両親に会えるのは年に1回の旧正月だけ。お土産の1500円のおもちゃが買えない。夫婦で何度も顔を見合す。

学校で、先生が7歳の子供たちに「大きくなったら何になりたい?」と尋ねると、皆同じように、「お金持ちになって両親に出稼ぎにいかなくてもいいような生活をさせてあげたい」と言葉を詰まらせながら答えた後に、机に顔を伏せ大声で泣く。

しかし、まったく日本も同じであった。
暗いうちから野に出、暗くなってから戻る毎日の暮らしがあった。
贅沢はなかった。そうした暮らしの中で、やはり桜を見ながら安酒を飲んでいたのだ。それが、ささやかな安堵と贅沢なのである。

やがて、戦後の経済政策のもと、豊かさを求め猛烈に働いた結果、高度成長をもたらし、1億総中産階級と呼ばれるバブルの時代も経験した。

中国もいずれは日本と似たような道を辿るのだろうか。

広大な土地と13億の民を抱えている中国。未開の内陸地方には大油田があるかもしれないし、多くの労働力は、はかりしれない成長力の要素となる。そこが日本とは決定的に違う。

2013年には中国のGDPは、日本を超えるといわれている。

天然資源がなく、人的資源も先細りの日本が生き残っていく道はあるのだろうか。

格差が問題とされている今日に、敢えて格差社会を甘受し、喪失してしまったハングリー精神を取り戻すことから道が見えてくるのではないのか。

酔いが回り始めた頭の中で、現状への感謝の気持ちと、後ろめたさを感じながら、そう思った。