ひらの税理士事務所




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 キャッチボール 
 
ある年齢以上の人にとってキャッチボールといえば、必須科目であった。
野球の準備運動でもあったし、二人いれば、ボールの投げあいをしたものである。
相手の胸元めがけてボールを投げる。相手がこちらに向かって投げ返す。単純な行為だが、結構心地よい。次第に投球に力が入っていく。相手も同じように投げ返してくる。グラブに入る音が次第に大きくなる。相手の力を感じる。

「おい、キャッチボールしようか」
「ああ、いいね」

今、誰かとキャッチボールをしてみたいと思う。果たしてうまくできるのかどうか。
しかし、その前に、場所がない。キャッチボールをしている子供たちを見かけることもない。専用のグランドでしかやれないのだろう。また、サッカー少年が増えてきたことも、原因かもしれない。
そのせいかどうかはわからないけど、この頃は、話のキャッチボールもできなくなってきている。ボールを投げても返ってこない。仕方がないので、別のボールを投げてみるが、やはり同じである。強い玉を投げているわけでもないけれど、掴もうとさえしない人がいる。

確かに、昔から人の話を聞かない人はいた。
次から次へと自分の話を押しつけて来て、投げ返そうとしても、その間が取れないのだ。たまに投げ返しても、相手は受け取らずに、別のボールを投げてくる。やがてこちらも疲れてきて、その気が失せて、ひたすら話が終わるのを祈ることになる。
一方通行でキャッチボールにならないのだ。また、専門的な言葉や、外国語、あるいは業界用語を頻繁に使って優位に立とうとする輩もいた。
それでも、今のほうが出来なくなったと感じる。

相手の話をしっかり捉えて、きちんと返す。また相手から返ってくる。この、繰り返しがうまくいくときは気持ちがいいし、嬉しい。話に花が咲くというのもこの状態からなのだろう。相手の存在がしっかり認識されている。
なぜ、そのようなキャッチボールが出来ないのだろうか。
ひとつは、ボールの種類(話の中身)に原因があると思われる。
ビジュアルな感じの擬音による話が多い。即物的で、広がりがないのだ。
また、元々その気がないことも考えられる。自分の感情をぶつけるだけで、はなから人の話を聞く気がない。たまにこちらの話を聞いても、表面的でおざなりの返球である。
さらには、キャッチボールをしたことがないのではないかと思われる人がいる。
投げても返ってこないはずである。
このようなケースがとても増えたと思う。

「ケータイを持ったサル」という霊長類研究学者による著書がある。
10代の若者によく見られる特徴を分析し、サルと似た行動だとしている。そしてその行動パターンを公的社会に出て行くことを拒む「家の中主義」と呼んでいる。
「ことばの乱れ」はいつの時代でも言われることとしながら、それにしても・・・・と嘆く。
電車の中で化粧をしたり、セーラー服の女子高生が下着丸出しでコンクリートの床に胡坐をかいたり、靴のかかとを踏み潰して歩く姿を、珍種のサルとみて研究し前記の著書ができたと述べている。確かに、携帯電話を手にし、大きな声で「もと彼」「まえ彼」などとしゃべったり、パンツをずり下げて下着が見えるような恰好で歩いたりする子供たち(?)を見かける。
また、何十、何百という「メル友」を有し、常に誰かと触れ合っていたい症候を持ち、今別れたのにすぐメールで「元気?」などと、あえて伝える価値のない情報を交信している。それは大昔からサルがやっていたことらしい。
しかも、直接会って話すよりメールでやり取りしたほうがいいらしい。つまり、相手を目の前にすると会話ができないのだ。
メールのやり取りはキャッチボールのように見えるが、実はまるで違う行為である。相手の目を見て、話すということと異質のものである。
相手のボールの強さを感じ、相手が取りやすいところに投げ返すという行動が取れなくなってきている。そんな人たちが、公的な立場でどうやって生きていくのだろう。「家の中主義」は、面倒を見てくれるものがなくなったときにどうなるか。無残な結果は火を見るより明らかである。携帯の普及は、いよいよキャッチボーができない時代へ落ちていくのではと危惧するが、対処方法はわからない。前記の著者は「家の中主義」を変える社会的知力が必要だと指摘しながらも、その知力の低下は止められないとも言っているようだ。

メールのやり取りは出来るが、じかのキャッチボールは出来ないという世代が多数を占める時代へ移りつつある。メールで挨拶をし、メールで仕事を処理する。そんな時代になってきている。

元来キャッチボールは、相手次第で変わる。相手が非力な子供や女性の場合、こちらも手加減がいるし、逆に、相手が訓練された人であれば、多少緩めてもらわなければ続かない。同等の力でも、上手下手がある。右利きなら、胸元やや右側に帰ってくるとスムーズに次の投球動作に移れる。手がとどかないところに返ってくると、当然、後ろにそらすことになる。

会話も、目前の相手の表情を見て、その場の空気を感じ、相手の心境を推測し、作られていくものだ。

誰かと話をしたいと願いながら、だんだんと話をするのがうっとうしくなる。だんだんさびしくなる。これからは、話し相手はロボットになるのかもしれない。一日も早くキャッチボールがうまいロボットの登場を願うものである。